清原が、岸信介元総理から、会長をされている「自主憲法期成議員同盟」と「自主憲法制定国民会議」の事務局長を委嘱されたのは、昭和54年の1月下旬のころであり、この年の5月3日の「第10回 自主憲法制定国民大会」とその翌年の大会は大会報告号をつくる余裕もなかったという。
昭和56年の第12回「自主憲法国民大会」は、東京ではなく、改憲運動に熱心であった愛知県名古屋で、3000人大会をすることに成功。この年の大会の直前には、タブロイド版の広報紙を作ったという。
28頁建ての『憲法』機関誌は、清原淳平が、昭和54年秋ごろに、当時「鶴書房」の編集長であった大門照幸氏と知り合い、本格的に編集技術を学び、大門氏の協力も得て、昭和57年の春、28頁建ての機関誌報告号をつくる決心をし、岸信介会長にお願いして、その題字となる『憲法』を書いていただいて、この「第13回 国民大会」の報告号から、以降、この機関誌風な報告号にした、という話である。
第12回国民大会直前号 昭和56年4月20日発行 タブロイド4頁 編集発行人:自主憲法制定国民会議事務局長 清原淳平 |
第13回国民大会報告号 昭和57年6月20日発行A5版32頁 編集発行人:自主憲法制定国民会議事務局長 清原淳平 編集後記・奥付 |
第14回国民大会報告号 昭和58年7月30日発行A5版32頁 編集発行人:自主憲法制定国民会議事務局長 清原淳平 編集後記・奥付 |
第15回国民大会直前号 昭和59年4月10日発行 タブロイド4頁 編集発行人:自主憲法制定国民会議事務局長 清原淳平 |
第15回国民大会報告号 昭和59年6月20日発行A5版32頁 編集発行人:自主憲法制定国民会議事務局長 清原淳平 編集後記・奥付 |
第16回国民大会報告号 昭和60年6月20日発行A5版32頁 編集発行人:自主憲法制定国民会議事務局長 清原淳平 編集後記・奥付 |
第17回国民大会報告号 昭和61年6月30日発行A5版32頁 編集発行人:自主憲法制定国民会議事務局長 清原淳平 編集後記・奥付 |
第18回国民大会報告号 昭和62年6月30日発行A5版32頁 編集発行人:自主憲法制定国民会議事務局長 清原淳平 編集後記・奥付 |
第19回国民大会報告号 昭和63年6月30日発行A5版32頁 編集発行人:自主憲法制定国民会議事務局長 清原淳平 編集後記・奥付 |
第20回国民大会報告号 平成元年6月30日発行A5版32頁 編集発行人:自主憲法制定国民会議事務局長 清原淳平 編集後記・奥付 |
第21回国民大会報告号 平成2年6月30日発行A5版32頁 編集発行人:自主憲法制定国民会議事務局長 清原淳平 編集後記・奥付 |
第22回国民大会報告号 平成3年6月25日発行A5版32頁 編集発行人:自主憲法制定国民会議事務局長 清原淳平 編集後記・奥付 |
第23回国民大会報告号 平成4年8月25日発行A5版32頁 編集発行人:自主憲法制定国民会議事務局長 清原淳平 編集後記・奥付 |
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